国民1億総高齢化社会

日本の高齢化問題を実感する光景に遭遇しました。

 

朝の通勤電車で、私は優先席付近に立っていました。
優先席は、通路を挟んで左右どちらとも全部、高齢者で席は埋まっていました。
朝の通勤時間帯だと、中年のおじさんとか若い人でも
優先席に座っている事が多々あるものですが、
その時は見事に全員高齢者が座っており、
それだけでも高齢化社会を実感していましたのですが。。。

 

そして更にこの日は駅が進むにつれ、次々と杖をついたりした高齢者が乗車してきて。
しかし、杖をついた高齢者が優先席にやってきても、
座っている人も皆、高齢者なので、誰も席を譲ってあげられません。
まぁ、座っている高齢者は、元気そうで丈夫そうな高齢者もいましたけれど、ね。
だけど皆、頭が真っ白のお年寄り。

 

その中で座っていた、一人の身なりの良いお婆さんが、
自分の前にいる杖をついたお婆さんに
「どちらまで行かれますか? 私も膝が痛いのですけれど、お座りになります?」
と尋ねました。その杖をついたお婆さんは
「いえ、私は遠くまで行くので、どうぞ貴女がこのままお座りになって。」
と遠慮していましたけれど。
まぁ、そんな老老介護的な光景が繰り広げられて。 

 

他には、優先席付近に後から乗ってきた高齢者が、
座っているのが全部高齢者で自分が座る事ができないので、
辺りを見回して「ち!」みたいな顔している人もいました。
(あくまで想像ですけど、そんな顔に見えましたョ)

 

まぁ、この状況は仕方ないですよね。
若い人も中年も、この時は皆立っていたのだから。
優先席前で吊革につかまって立っていた若いサラリーマンが、
その吊革を後から乗ってきたお年寄りに譲ってあげて、
自分は吊革ナシで不安定に踏ん張って立っていた程の、高齢者だらけ。

 

それにしても、「朝の通勤電車は通勤者だけのモノ!」とは言わないけれど、
よくもまぁ高齢者が、朝早くから出掛ける用事があるもんだなぁ。。。と思ってしまいました。
私なんか会社以外で、朝早くから通勤時間帯の電車に乗って行かなければならない用事なんてそうは無いよ? 
どこに行くのでしょうか? 通院?

 

なんだか私、不謹慎ですけれど、ぞっとしてしまって。

 

仮に、私の母がこれから80歳を超えたとして、
それで通院とかでやむを得ず電車に乗っても
優先席には、90歳とか100歳オーバーの超高齢者で埋まっていて

座らせてあげることができない。。。とか、
そういう事が普通に起こりうる社会になるんじゃないかと。

それどころか、80歳の人が優先席に座っていたら、
それ以上の超高齢者がやってきて、
「あの~、私の方が年寄りなんで、席を譲ってくれませんか?」
なーんてね!?

 




私が高齢者になる頃には、それこそ周りは高齢者だらけで、
高齢者としての労りは受けられないと思いますね。

 

老々介護とか、超高齢者を支えるのが高齢者で、
その高齢者を支えるのも、高齢者目前の中年で。
そして若い人は少ない人数でそれらをまとめて一手に引き受けなければならないし、
現役世代が疲労困憊で潰れてしまいますよね。。。

 

日本の高齢化社会はどこまで進むんだろう?
安楽死は日本で認められないものでしょうか? 
私は、私が高齢者になったら安楽死制度を積極的に利用したいのですけれど。

 

もし安楽死制度ができたら、高齢者よりその下の世代が、
高齢者の面倒を見る義務とか責任とかで疲れ果てて、
自分がこの世から去りたいって申し込みに殺到するかも!? 
まさかとは思うけれど、実際私が、そんな気持ちですから。。。

 

長生きするが故の苦しみを味わいたくないし、
苦しむことなく安らかに死にたいのですけれど、
それが許されない日本なのだなぁ。。。
どうにかなんないの?

 

 

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